油を飲む

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語彙大富豪 嫌いチェックについて

お兄さんの雑談窓で、「語彙大富豪において嫌いチェックは排除されるべきではないか」みたいな議論がなされているので、僕の意見を投げときます。discordのgeneralでこの話蒸し返すとお兄さんに殺されそうなので。

 

 

話の発端としては、先日A氏(仮)が「黒塗りの高級車」に対して「俺はそのネタ好きじゃないからチェックするよ」というようなことを発言し、それに対してB氏(仮)が、過去の語彙大富豪において通った・チェックされた例などを参照し、論理的でないチェックは極限まで排除すべきだ、と主張したことに始まります。

その後多少の議論が交わされましたが、結果として嫌いチェック容認派・排除派の意見の一致は図られませんでした。

 

 

まず僕の意見を述べると、僕は嫌いチェックを規制する必要は無いと思ってます。

 

 

第一に、悪意に満ち満ちたチェックを半数が入れるようになったら、その時点で語彙大富豪は終わっているという点が挙げられます。

 

語彙大富豪って、基本的に「勝つ」ゲームじゃなくて「笑う」ゲームです。悪意チェックまでして勝ちを求める人に、語彙大富豪の楽しさが理解出来るでしょうか?僕は出来ないんじゃないかと思う。

 

つまり、そんなことをする奴は勝手に語彙大富豪を辞めるだろう、という事です。かなり早く。

 

もし、語彙大富豪のプレイヤーが半分以上そういう輩になったら、そのゲームは最早、語彙大富豪ではありません。

 

 

また、数回語彙大富豪をやって辞めるような人間のために規制を設ける必要はあるのか?という問題があります。

たぶん、その「数回」は縮まらないし、よって無駄な不文律の追加は必要ないというのが私の考えです。

 

 

 

第二に、チェック理由はプレイヤー側に完全に委ねられています。

 

たしかに「黒塗りの高級車」自体は強力な力がありますが、それは黒塗りの高級車が何なのかを知っている人の中だけの話です。ただの車だと考えたら何でもかんでも追突されるような文脈は当然持っていないと考えられます。

当然、出した人間はそこに説明を加えるでしょう。しかし、「そのネタよく分からないからチェック」というのは十分ありだと思います。

 

同様の理由で、「神」に「チェーンソー」も通じない卓でプレイしていたら10-0で負けでしょう。実際僕は「神」に「チェーンソー」を出して伝わらなかったことがありました。

 

 

語彙大富豪はそれぞれが通しの理由・チェック理由を考えるところまで含めて面白いのであって、判例主義はプレイヤーの自由度を奪い魅力を減らしてしまうものであると考えます。

 

 

 

最後に、これはやや自論を含みますが、笑うゲームは限りなく自由に近い方が良いと思うという点があります。。

 

チェックが入るということは半数以上がその答えに疑問を抱いているということであり、その卓としてはチェックが最も合意が得られるということです。であれば、通したプレイヤーが合理的でないと考えても、その卓としてはチェックが最も合理的判断である、ということになります。説明の必要も無いでしょ?

 

 

であれば、そのチェックのどこを疑うべきなのでしょう?少なくともその卓において、そのチェックは「合理的に正しい」んです。

 

 

ある程度の判断はプレイヤーに丸投げし、プレイヤーが悪ふざけでチェックや通しを入れても、それで雰囲気が良いならいいじゃないか、笑えるならいいじゃないか、というのが私の考えです。

 

実際、語彙カーリングは完全に笑うためのゲームとして設計されていますが、例え明らかにほかの語彙より強い語彙に票が集まっても(例:核)、そこに入れたプレイヤーの意思と場の雰囲気を尊重して普通に通しています。面白ければいいから。

 

語彙大富豪は、語彙カーリングに比べると、語彙同士の勝敗が必ずつくという意味で100%笑いではないかもしれませんが、本質は大喜利であり、笑いです。

 

そして、語彙大富豪を楽しむ権利があるのはその卓を囲んでいるプレイヤーです。

であれば、外野があーだこーだと言っていることよりも、プレイヤー間の合意が得られることが第一ではないでしょうか。

 

 

 

いつも通り推敲はしていないので、読みづらい文章だったと思います。申し訳ありません。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。